花園城

<城名> 花園城
<所在地> 埼玉県大里郡寄居町
<主な城主> 藤田重利(康邦)
<遺構> 空堀・土塁・石塁
<交通> 東武東上線・秩父鉄道・JR八高線「寄居」駅下車、徒歩約50分。

<歴史> 花園城は藤田氏の本拠地。藤田氏の歴史は古く、武蔵7党の猪俣党の出。猪俣政家の子・政行が現在の藤田郷に住んで藤田と名乗った。北条氏邦を婿に迎えたのは15代目の重利(康邦)。現在の城跡は戦国時代のもので、築城者や年代ははっきりしない。

<史跡歩記> やっと手に入れた「秩父の古城址」を見ながらの挑戦です。過去二回失敗していますが、今度こそ? 140号線の北、藤田氏の菩提寺「善導寺」を目指します。善導寺の前の道を左折し、突き当たりまでいくと、小さな神社があります。この神社の裏から細いながらも登山道があり、登っていきます。行き着くと深い竪堀にぶつかります。ここから道がなくなっています。はて? 脇道へそれてしまったか? とにかく上に登るしかない(苦笑)。途中、石塁のある土塁や、曲輪が見えます。さらに進むと、「埼玉県立歴史資料館」ガイドブックに載っている石塁を発見。

何時の間にか、完全に遭難状態(苦笑)。これは一人では心細い。道無き道を進む。また竪堀だ! これを登れば一曲輪に行けるに違いない。

なんとか本曲輪に到達。立派な石碑があるではないか(笑)。本曲輪は最高所ながらも、周りの山が近く、丸見え状態です。当然周りの山にも砦を築く必要があります。本曲輪の一段下にも石塁があります。これは当時のものでしょう。本曲輪と二曲輪の間の空堀は見事。垂直に切り立っています。二曲輪にはテレビアンテナが立てられています。二曲輪には低いながらも三曲輪方向に土塁が残ります。内側(曲輪側)には石塁が顔を出しています。これは鉢形城に似ています。

三曲輪から降ります。段々の腰曲輪を降りていきますが道が無い(苦笑)。腰曲輪が多すぎて自分の位置がわからなくなり、「秩父の古城址」が役に立ちません。しかも何度も転がって土だらけ(泣)。あっ竪堀だ。これで帰れる(笑)。

善導寺西に正龍寺があります。北条氏邦夫妻・藤田重利夫妻の墓があります(県指定史跡)。時間があれば寄るとよいでしょう。正龍寺西に畑の中に氏邦室「大福御前の自刃地」という真新しい石碑があります。なぜか碑文は「八王子市長」です(謎)。

滝山城に似る雄大な山城ですが、全容をつかむには再訪が必要だと思いました。しかし、草木が茂る前、今の季節でないと無理でしょう。しかも道標・案内板「ゼロ」ですから。

良く紹介される石塁 本曲輪の石碑 本曲輪一段下の石塁 本曲輪と二曲輪間の空堀

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