東別府氏館

<城名> 東別府氏館(通称・別府氏城)
<所在地> 埼玉県熊谷市別府
<主な城主> 別府行隆・義行・長清
<遺構> 空堀・土塁(県指定史跡)
<交通> JR高崎線「篭原」駅下車、徒歩約15分(約1km)。または市内循環バス「東別府」下車(一日3本しかない)

<歴史> 成田家初代「助高」の子・行隆が別府の地に館を構えたのが別府氏の始まり。行隆の子・義行は「東別府」としてこの地を相続、義行の弟・行助は「西別府」として近くに館を構えた。11代目の長清は「小田原の役」で成田家同様、後北条氏のもとへ参陣したため、戦いの後、家禄を没収。東別府館は廃された。

<史跡歩記> 地元の案内板や文献では「別府氏城」と出てきますが、「東別府」「西別府」に分けて考えた方がよいと思います(西別府氏館の遺構がほとんどないため、「別府氏城」に統一した呼び方になってしまったのでしょうか)。

篭原駅北東約1kmのところに東別府氏館はあります。館跡に春日神社がありますので、この神社を目印に進むと良いでしょう。館跡は約100m四方の方形ですが東・西・北と土塁・空堀が残っています。特に北側の土塁は高さ3m以上あり、見ごたえがあります。東側の土塁には犬走りと思われる遺構もあります。館の入り口は東・西・南の3カ所あり、南には折りの跡、西は食い違いになっているのがわかります。

館跡周辺は住宅地ですが、遺構の状態はとても良いところです。「別府氏城」「東別府氏館」など数基の古い石碑が立つことから、昔から遺跡の保存に努めてきたことがわかります。首都圏において、失われていく中世の武士の館跡を体感できる貴重な所です。

館跡から西に数百m歩いたところに「安楽寺」があります。ここには「別府頼重」(西別府)の墓が現存しています(県指定史跡)ので、寄ってみるとよいでしょう。

東別府館の石碑 折のある土塁 土塁・空堀

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