金窪城
<城名> 金窪城
<場所> 児玉郡上里町金久保
<主な城主> 加治家季?、畑時能?、斎藤定利、川窪信俊
<遺構> 土塁?
<交通> JR高崎線「神保原」駅から徒歩約40分。
<紙面掲載>1998/7/16(神流川古戦場)
<歴史> 古くは武蔵7党の一つ丹党から出た加治家季の館跡といわれる。新田義貞が修復し、家臣の畑時能(畠山重忠の子孫とも)が居城したという話もある。室町中期には斎藤氏の城となり、定利の時には後北条氏に属した。神流川合戦で斎藤氏は一族ことごとく討ち死にし、斎藤氏は没落。徳川入府後は川窪信俊(武田信玄の弟・信実の子)の城となる。
<史跡歩記> 水田地帯にあり、なかなか発見できない城です。陽雲寺の北1キロほどの場所にある都市公園が金窪城の跡です。公園の前に大きな石碑があり、石碑裏には土塁と思われる遺構が見えます。公園には神流川合戦の絵が掲げられています。17号線を西へ行き、神流川を渡り群馬側に行きますと、神流川古戦場の碑があります。
(2002/07/07)
金窪館(城)跡入口という石碑は無くなっていました。道路拡張のためでしょうか?
(2013/06/03)