川越城

<城名> 川越城(別名・初雁城)
<所在地> 埼玉県川越市郭町
<主な城主> 太田道真・道灌、北条綱成、大道寺政繁、松平信綱、柳沢吉保
<遺構> 本丸御殿の一部(県指定建造物)、土塁・櫓台(市指定史跡)
<交通> 東武東上線・JR川越線「川越」駅、西武新宿線「本川越」駅からバスに乗り、「札の辻」下車、徒歩約8分。小江戸巡回バス「本丸御殿」下車。
<紙面掲載日>1997/12/18(河越夜戦場)、2002/02/20(上)、2002/02/28(下)

<歴史> 古河公方(足利成氏)の抑えとして、扇谷上杉持朝が太田道真・道灌親子に命じて築いたのがはじまり。朝定のとき、北条氏綱に攻略され、後北条氏の城になった。城将・北条綱成の守る川越城に両上杉・足利晴氏連合軍8万の軍勢が襲来した「河越夜戦」は有名。大軍により油断した連合軍は北条氏康の援軍8000によって蹴散らされた。

「小田原の役」では前田利家軍により落城。徳川入府後は松平信綱や柳沢吉保など、老中・大老クラスの譜代大名が入城した。

<史跡歩記> 本丸御殿はあまりにも有名ですが、川越城の遺構は驚くほど少ないです。各所にある標柱が城の規模を伝えています。市役所に道灌像がありますが、このあたりは西大手門跡です。本丸御殿近くの三芳野神社周辺に土塁が残ります。富士見櫓跡は神社西の住宅地にあり、最近藪が刈られたので高さの実感、登ったときの景色が良くわかります。市は櫓台にあった神社を裏に移し、富士見櫓再建を考えていますが、忍城のような「豪華な天守閣」だけはやめてほしいです。

本丸御殿前にある市立博物館に、川越城の立派な模型があります。川越高校脇では発掘調査が行われていました(02/02/02現在)。東明寺(河越夜戦の激戦地のひとつ)に河越夜戦の石碑があります。

地図リンク

富士見櫓跡 大手門跡に立つ道灌像 東明寺の河越夜戦の碑 川越城本丸御殿 三芳野神社周辺の土塁

市立博物館の模型 川越高校裏の発掘調査

<2005/11/05>
川越市立博物館で「遺跡を聴く・見る 眠っていた川越城」の説明会に参加しました。新曲輪(現・市役所付近)の発掘調査の様子を、川越市教育委員会の荻野将盛氏によるスライドを用いたわかりやすい解説を聴くことができました。本丸御殿では普段入ることのできない広間に座ることもできてちょっとお得な気分です。天井には体育館時代のバレーボール跡も。天井も石高にしては質素なつくり。そのため貴重な本丸御殿なのに県指定文化財止まり・・なのかもしれません。

富士見櫓は再建計画があり、本丸御殿は痛みが激しく改修作業による休業もあるそうです。

市立博物館 説明会の様子 スライドによる解説。手前の溝は中世の堀 富士見櫓跡 バレーボールの跡


<2008/03/09>
郭町1丁目に残る中ノ門の堀跡が公園として整備されることになりました。民家私有地の雑木林ですのでいままで紹介できませんでしたが、近年、手前の家が取り壊されたため、道路からでも雑木林を見ることができます。場所は東京新聞専売所の裏手あたりです。専売所前でも発掘調査が行われています。また、本丸御殿も今秋から数年間、修復に入ります。修復後はバレーボール跡も見られなくなる可能性がありますので見学はお早めに。

堀跡のある雑木林 堀跡 専売所前の調査現場


<2011/02/12>
川越城中ノ門堀跡の公園が完成しましたので行ってみました。安全上、入ることができなくなっていますが、建設当時のものを再現しているのでかなりの深さがあります。公園入り口には冠木門と説明板があります。公園自体は堀ですので広さはありません。整備、休館中の本丸御殿は平成23年3月26日(14時〜)から公開されます。

冠木門(公園入り口)  

<2011/06/20>
本丸御殿が2011年3月、リニューアルオープンしました。私が行った日は月曜日で休館でした・・

   

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