雉ヶ岡城

<城名> 雉ヶ岡(きじがおか)城(別名・八幡山城)
<所在地> 埼玉県本庄市八幡山(06/01/10 児玉町廃止)
<主な城主> 山内上杉氏、夏目定基(山内上杉氏家臣)、後北条氏、松平家清
<遺構> 土塁、空堀、水堀の一部、馬出し遺構、櫓台 (県指定史跡)
<交通> JR八高線「児玉」駅から徒歩約10分。車は関越自動車道、本庄児玉ICから約10分。
<紙面掲載>

<歴史> 雉ケ岡(八幡山)城は山内上杉氏によって築城。上州平井城を築くと、城代として夏目豊後守定基を置いた。北条氏邦に攻められ鉢形北条氏の属城に。天正18(1590)年、前田利家軍により落城。徳川家康の関東入府後は松平家清が1万石の領主となったが、慶長6年(1601)年、三河吉田城に転封となり、廃城となった。

<史跡歩記> 目印は児玉高校の正門です。正門の前にも土塁が残ります。児玉中学が一曲輪、児玉高校が二曲輪・北の曲輪跡になります。一曲輪の一部と東の曲輪の一部、南の曲輪は公園として開放しています。子供の遊具(土塁に埋め込んだ滑り台まで!)や小動物園など、都市公園としてかなり整備されていますが、高い土塁や空堀、水堀(公園整備されている)の一部、櫓台などの遺構が残っています。塙 保己一(はなわほきいち)記念館があるところは馬出しですが、公園化による石垣が残念です。しかし、都市公園として整備されたからこそ、城跡として残ったのかもしれません。車で5分ほど北に行きますと、国指定史跡「塙 保己一旧家」があります。しかし、訪れてみますと国指定史跡に人が住んでおり、大変驚きます。

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