騎西城

<城名> 騎西城(私市城、根古屋城、山根城)
<所在地> 北埼玉郡騎西町根古屋
<主な城主> 騎西党? 小田顕家、小田助三郎、大久保忠職
<遺構> 土塁
<交通> JR高崎線「鴻巣駅」または東武加須駅下車からバスに乗り、「福祉センター」下車。
<紙面掲載日>

<歴史> 武蔵七党の騎西党から来ているのは間違いないと思うが、文献が存在していない。騎西(私市)城が文献に登場するのは康正元(1455)年、古河公方・足利成氏による城攻めの記録から。戦国時代は越後・武蔵の抗争に巻き込まれ、城主小田氏(常陸小田氏を祖とする)は親戚筋の成田氏同様、後北条氏側についた。

有名なのは松山城救援に間に合わなかった上杉輝虎(後の謙信)が憂さ晴らしで私市城を攻撃、落城させている。

<史跡歩記> 数年前までは福祉センター(城郭風建築物が立つ)前にわずかに土塁が残っていましたが、最近改修工事を行い、土塁を復元。石垣を巡らしてしまいました。史跡保存のためでですが、石垣を見た一般の人は勘違いをしないか心配です(前方後円墳にも見えます)。この土塁周辺には「大手門」「二の丸」など案内棒が立つので巡ってみると城の大きさが体験できます。

遺構は前述の土塁だけと案内板にありますが、前玉神社左の水田は当時の地形が残る貴重な場所です。



土塁 大手門跡  堀跡


2007/02/17
萩原遺跡(第8次調査)の現地説明会に行ってきました。縄文時代・古墳時代の遺跡跡ですが、今回、新たに騎西城の障子堀が発見されました。道路建設のための調査ですので早めに見学したほうがよいです(3月には道路工事再開)。場所は福祉センターと体育館の間です。

今回の調査地点は、古地図では「外川村」と書いてある場所です。城内ではない場所からの堀跡の発見から、騎西市城の出城か、騎西城前にあった古城跡と考えられます(画像を触れると説明が出ます)。

発掘現場 障子堀に架けてあった橋(橋柱が現存 A-4) 障子堀(A-3) 障子堀(A-3) 説明会の様子(A-4) 障子堀(A-3)

縄文の埋甕(C-2) 堀(C-3) 発掘されたもの。板碑も見える 古墳時代の住居跡(D) おそらく戦国時代の堀。推定幅7m(B-2)

<おまけ>
有名な城郭風建築の内部が公開していました。お祭りの時など、たまにしか開いていませんので貴重な体験でした。内部には「十六面筋兜」(町指定文化財)など騎西城から発掘されたものが展示してありました。最上階は茶室のようになっており、かなりの間使われていない台所もあります。鍵を掛けられると戻ることができない望楼は怖かったです。近年外部リフォームしたようで、とてもきれいになっています。

リフォームしました 十六面筋兜 茶室? 最上階に台所 今回の発掘調査方向 萩原遺跡方向

トップ アイコン本曲輪へもどる