腰越城

<城名> 腰越城(根古屋城)
<場所> 比企郡小川町腰越字南城山
<主な城主> 山田伊賀守直定
<遺構> 竪堀、土塁、曲輪(県指定史跡)
<交通> 東武東上線「小川町」下車、徒歩約30分(登城口まで)。
<紙面掲載>

<歴史> 「関八州古戦録」には「永禄5(1562)年、小田原より松山には上田暗礫斎、上野介朝広を置き、青山、腰越の砦と共に守らしむ」と記録があり、青山城とともに松山城の有力支城。松山城主・上田朝直の家臣、山田伊賀守直定の城と伝えられる。

<史跡歩記> 小川町駅から3キロほど南西、槻川の矢岸橋の前にある小さい山が腰越城。頂上が平坦なのですぐに砦跡とわかります。近年公園化により大きな看板があります(写真左から1)。

榎戸は木戸跡と伝えられ、現在、木戸風の入り口があります(写真2)。城跡は公園化により道は広げられ階段になり、古城跡の雰囲気は失われています。防御の工夫が体験できなくなっており、我々には不満が残ります。しかし、各所には案内板があるのではじめて訪れる人には親切でしょう。

最高所の本曲輪は意外と狭いです(写真3)。城の南方部は石灰採掘のためなくなっています。写真5は「囮小口」と呼ばれる防御の工夫で、先に進むと行き止まりで両側から攻撃されます。

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