松山城

<城名> 松山城
<所在地> 埼玉県比企郡吉見町北吉見
<主な城主> 新田義貞?、上田左衛尉友直?、上田又次郎政広、後北条氏、上田朝直、松平家広他
<遺構> 土塁、空堀、櫓台(県指定史跡)
<交通> 東武東上線「東松山」駅下車からバスに乗り、「百穴前」下車。
<紙面掲載日> 1998/01/08

<歴史> 築城の年代は詳らかではないが、新田義貞の陣城説が一番古く、次いで上田左衛尉友直説がある。この地は関東の真ん中に位置しているため合戦が多く行われ、城将・難波田弾正と後北条側の山中主膳の風流歌合戦や、太田三楽斎の軍用犬伝説を生んだ。

氏康・信玄・謙信が関東の覇権を争ったところとしても有名。

<史跡歩記> 関東に住む戦国時代の好きな人であれば憧れの地だと思います。私も何度も訪れていますが、昔はほとんど藪の山でした。しかし、2000年冬に本曲輪・二曲輪周辺を大々的に草が刈られ、今では空堀の底を歩くことができるようになり、深い空堀を体験できるようになりました。2001年冬には残りの春日曲輪、三曲輪も草が刈られ、松山城のほぼ全容(開発されてしまった場所は除く)を歩くことができます。県道側の入城口は整備され新しくなっていますが、これ以上の公園化は望みたくはありません。

隣は有名な観光地・吉見百穴です。

整備された入城口 本曲輪説明板 本曲輪櫓台 本曲輪−二曲輪空堀

兵糧曲輪 二曲輪 春日曲輪 三曲輪

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