南城
<城名> 南城
<場所> 児玉郡上里町金久保
<主な城主> 大畠長門守昌広?
<遺構> 土塁、空堀
<交通> JR高崎線「神保原」駅から徒歩約25分。
<紙面掲載>2002/08/29
<歴史> 金窪城主の斎藤氏の帰依の厚かった寺。神流川合戦で焼失した。徳川入府後は川窪信俊(武田信玄の弟・信実の子)の所領となり、信玄室がこの地に住み、夫人の死後、寺号を陽雲寺と改称した。
城跡は大畠長門守昌広の築城と言われるが、詳細は不明。
<史跡歩記> 実は現地に行くまで城跡とは知りませんでした。陽雲寺の取材に行った帰りの道沿いに、怪しい土塁を見つけたのです。夏には苦しい養豚場の前ですが、折のあるはっきりした土塁が残ります。先には土橋もあり、長く続く土塁もあります。南側は消滅していますが、金窪城と比べものにならないほど良く残っています。
武田信玄室・陽雲院の墓、畑時能の供養塔と1度で美味しい場所です。敵は養豚場でしょうか(苦笑)。
(2002/07/07)