美尾屋十郎広徳館
<城名> 美尾屋十郎広徳館
<所在地> 埼玉県比企郡川島町大字表
<主な城主> 美尾屋十郎広徳
<遺構> 水堀?
<交通> 東武東上線「川越」駅またはJR高崎線「桶川」駅からバスに乗り、「新堀」下車、徒歩約5分。
<紙面掲載>
<歴史> 平家物語に出てくる美尾屋十郎広徳の館跡と伝えられるところ。大御堂は十郎広徳の供養のために北条政子が建てた阿弥陀堂。現在のものは室町時代のもので国指定重要文化財。
<史跡歩記> 川島町の広徳寺が美尾屋十郎広徳の館跡。寺の周りには水堀跡と思われる用水が流れています。大御堂の前に館跡碑があります。堂の裏の土盛りは古墳の跡で、十郎広徳の墓と伝えられる墓石があります。近くの地名にも「三保谷」とあります。
見学は寺の注意書きを読んでからが良いでしょう。駐車場は墓参用であり、無断駐車には厳しい処遇があります。お寺の方に会いましたら挨拶を忘れずに。
よく知られる平家物語・那須与一の「扇の的」には「錣引き」という続きがあります。的を射落とした後(実は扇以外にも一人射落としていますが 苦笑)、怒って源氏方を挑発した悪七兵衛景清(平景清)と誘いに乗った十郎は一騎打ちとなり、景清は逃げる十郎の「錣」(しころ=兜の両脇に垂れている部分)を引きちぎりました。
十郎が「景清の腕の強さよ」と褒め、景清は「十郎の首の強さよ」といって互いに称賛したとか。
景清は斬首されたという話と、落ちぶれて盲目となった話、頼朝配下を拒み両目を差し出したなどの逸話があります。能や歌舞伎でもよく登場しますが源平合戦後は謎の人物なのでしょうね。あれ? 十郎って引きちぎられただけ?
(2004/07/09)