千馬山城

<城名> 千馬山城(別名・龍ヶ谷城)
<所在地> 埼玉県秩父郡皆野町三沢
<主な城主> 用土新左衛門正光
<遺構> 土塁・空堀・竪堀・土橋・石塁
<交通> 秩父鉄道「皆野」駅から「秩父駅・三沢経由 皆野駅」行バス(本数少ない)に乗り「強石橋」下車、徒歩約40分。
<紙面掲載日>

<歴史> 城主は用土新左衛門正光と記録されるが、築城者は父の用土新左衛門重利(藤田康邦)と伝えられている。永禄12(1569)年、甲斐武田軍が秩父に進入。千馬山城を攻めたが、守りが堅く落城させることができなかった。地名にある「戦場」が合戦の地の一つと伝えられる。

<史跡歩記> 「これは凄い!」と、うならせる山城はなかなかないものです。しかし、この城の本曲輪に立てば「もし、この城主だったら、あの武田軍でも退治てくれる」と思うに違いありません。南からのびる本曲輪までの尾根は執拗に土橋を構築し、坂になった土橋もあります。西は腰曲輪の連続で、腰曲輪を歩くとそのうち深い竪堀に落ちます。腰曲輪北端には木戸を設けており、今でも跡がわかります。竹やぶが苦しいですがお勧めしたいところです。本曲輪の下に設けた段々の腰曲輪+竪堀を見ると、藤田系(花園城)城郭の特徴が良くわかります。

北東曲輪の先には2重の竪堀があります。岩山を完全に2重に掘ってあるのです。当時この尾根は一番の弱点だったと考えられ、厳重に2重に掘ったと思われます。ここの遺構は必ず見たいところです。

県道沿いに千馬山城の案内板があります。しかし、城の案内板はここだけです。この先を進み左方向(山側)に進みますと一段高いところに民家があります。民家の脇を山側に進めば中田氏の「秩父路の古城址」に出てくる通路「ロ」「ハ」ですが、はっきり言って道になっていません。遭難します。お勧めなのは通路「イ」です。神社さえ発見できればあとは尾根伝いに歩くのみです。ここの登山道さえ発見できれば本曲輪まで15分ほど。本曲輪は狭いですが、裏は崖になっており、鉄壁の守りです。

しかし、この城にも弱点があって、水の心配をしなければなりません。谷の「水の手」を抑えられると長い篭城戦は厳しいでしょう。(2002/3/23)


全景 登城口の目印 斜めになった土橋 西南の曲輪

本曲輪 北東の曲輪先にある2重竪堀 2重竪堀底 木戸跡

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