渋江氏館

<城名> 渋江氏館
<場所> さいたま市岩槻区本町(2005/04/01 さいたま市へ岩槻市編入)
<主な城主> 渋江氏
<遺構> なし
<交通> 東武野田線「岩槻」駅から徒歩約10分。
<紙面掲載>

<歴史> 武蔵七党のひとつ野与党の大蔵経遠が渋江郷に居住し土地名を称したのが渋江氏の始まり。鎌倉時代初期に渋江光衡が地頭職を安堵されていることが「吾妻鏡」に見える。戦国時代には岩槻城主太田氏に仕えていたが、北条氏綱の岩槻城攻撃の時、渋江氏は内応。渋江三郎が岩槻城代になった。

<史跡歩記> 渋江町という町名は消滅しており、「渋江」の交差点名と、岩槻駅の北方にある龍門寺と渋江交差点の間、浄安寺前に「渋江町」の石碑が名を残すのみです。府内三丁目遺跡を渋江氏の本拠とするのが有力視されています。

一時期町名変更が流行りました。私の住んでいた新宿区戸塚は「西早稲田」になり、幼少ながら違和感がありました。岩槻ほどの城下町が、由緒ある町名を変更してはいけないと思います。
(2002/08/18)


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