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秩父氏館

<城名> 秩父氏館(鶴ケ窪城)
<場所> 秩父市吉田町下吉田(2005/04/01 秩父市と吉田町合併)
<主な城主> 秩父武基、武綱、重綱、重弘、重能
<遺構> 土塁? 櫓台?
<交通> 秩父鉄道「皆野」駅下車、バス「吉田町」で降りて徒歩約3分
<紙面掲載>

<歴史> 秩父氏は高望王(桓武天皇の曾孫)が平姓を賜り、子の平良文が武蔵守に任じられると、現在の熊谷市村岡に住み、村岡良文と名乗った。良文の孫・将常は秩父郡中村に住んで秩父氏の祖となり、子の武基が秩父牧の別当に任じられて吉田の地に館を構えた。秩父氏は畠山・河越・江戸・豊島・河崎・渋谷氏を生み、武蔵武士団の中心勢力になった。6代目の重能は文武に優れた畠山重忠の父である。

<史跡歩記> 吉田町立吉田小学校の敷地が「秩父氏館」跡です。吉田川がV字に蛇行する台地に築かれています。「埼玉の古城址」に書いてある通り、小学校敷地に4−5mほどの高さの櫓台と土塁と思われる遺跡がありますが、「埼玉大百科事典」には「遺構なし」とあり、グラウンド造成時の残土と言う話もあります

(01/04/26)。