土呂陣屋

<城名> 土呂陣屋(とろじんや) 別名・初鹿野陣屋
<場所> 大宮市土呂町
<主な城主> 初鹿野氏
<遺構> 土塁、空堀、地蔵堂
<交通> 東武野田線大宮公園駅下車、東へ徒歩約5分
<紙面掲載>

<歴史> 別名のとおり、武田氏家臣初鹿野氏の陣屋跡。勝頼没落後は徳川に仕え、土呂村の領主になった。

<史跡歩記> 寿能城から北方500mのところに位置します。産業道路と野田線の陸橋を越え、次の右に行く道を曲がります。ゴルフ場までの道路右側が土塁跡で、かなりの高さで現存します。ゴルフ場手前は出丸と呼ばれ空堀も。陣屋内には近世名主の長屋門や地蔵堂があり、東の郭の土塁も良好に残ります。

<01/04/14>
土塁の破壊はかなり進んでいます。見学は早めがよいでしょう。


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長屋門 破壊が進む


<2014/01/03>
ゴルフ場は病院建設に、陣屋跡には老人ホーム建設中。区画整理もあり、かなり破壊されてしまいました。北側土塁、東郭はほとんど消滅しました。西側の空堀だけがなんとか残されています。

北側土塁跡 東郭跡 現場に貼られている区画整理図 西側空堀

<2014/12/26>
ゴルフ場跡には東大宮病院を建設中。周辺はかなり開発されています。西側の空堀跡もなくなってしまいました。南側、野田線(アーバンパークライン)踏み切りを渡り、左に進むと初鹿野氏ゆかりの御嶽社があり、近くの墓地には「初鹿家の供養塔」(三代昌次、昌久の子・昌季)があります。

空堀跡消滅 御嶽社 初鹿家の供養塔

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