羽生城

<城名> 羽生(はにゅう)城
<所在地> 埼玉県羽生市東2丁目
<主な城主> 広田式部大輔直繁、中条出羽守、木戸伊豆守忠朝、成田下総守氏長、大久保忠隣
<遺構> なし
<交通>  東武伊勢崎線、秩父鉄道「羽生」駅下車、徒歩約30分。
<紙面掲載>

<歴史> 記録では天文年間に広田式部大輔直繁の居城とある。後に後北条氏の城となり、中条出羽守が城代として守った。永禄3(1560)年、長尾景虎(謙信)が羽生城を攻め落とし、広田直繁と木戸忠朝に羽生を安堵。北条氏政と武田信玄の同盟が成立すると、羽生城の争奪戦が激化。謙信は越後から遠いため、羽生城をあきらめ撤退。忍城主・成田氏長の城になった。江戸初期には大久保忠隣の城になったが、改易により廃城に。

<史跡歩記> 上杉謙信・北条氏政の有名な攻防戦の地も、今はなにも残されていません。曙ブレーキ工場近くの天神社は天神曲輪跡と伝えられ、遺構はありませんが古城址の雰囲気があります。罪滅ぼし的な大きな石碑と説明板2枚があります。
(2002/4/20)



石碑と説明板

トップ アイコン本曲輪へもどる