東方城(熊野神社)

<城名> 東方城(熊野神社)
<所在地> 埼玉県深谷市東方
<主な城主> 松平康長(東方城)
<遺構> 土塁、櫓台、堀(市指定史跡)
<交通> JR高崎線「篭原」駅下車、徒歩約45分(約3km)。

<歴史> 築城者は不明だが、庁鼻和城と深谷城の近くにあり、深谷上杉氏の支城と見るのが自然。「小田原の役」後、松平康長が1万石で入城。康長は関ケ原で功があり、上州白井に転封。東方城は廃城になった。熊野神社は秋元氏(景朝・長朝)の帰依が高かったという。

<史跡歩記> 東方城の本丸と言われているところを「御所屋敷」とし、周辺の遺構を整理して、別の城館としたいと思います。成田氏の別府城や東別府・西別府のような城館郡があったのだと思います。

本丸とされる御所屋敷から西へ400mほどにある熊野神社を囲うようにして土塁があります。しかし、かなり低くなってわかりにくくなっています。本殿は市の文化財に指定されています。
(2008/12/15)

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熊野神社 土塁

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