成田氏館

<城名> 成田氏館
<所在地> 埼玉県熊谷市上之
<主な城主> 成田助高から15代親泰まで
<遺構> なし
<交通> JR高崎線「熊谷」駅下車、徒歩約25分(約2km)。車は17号熊谷バイパス「上之」交差点の手前の一方通行を左折(大宮から熊谷方向で)する。

<歴史> 成田氏といえば後北条氏家臣・忍城主の「氏長」が有名。「小田原の役」当時、氏長は小田原城に在陣していたため、城主のいない忍城の激闘が知られている。成田氏は忍城を本拠地にする前はこの「成田氏館」を本拠地としていた。築城は平安末期といわれる。成田氏は藤原助高が武蔵の国司として播羅郡に居住し、「成田」と称したのがはじまり。助高には4人の子供がおり、嫡男は「成田」を次男は「別府」、三男は「奈良」、四男は「玉井」と名乗り、代々相続した。成田氏15代目・親泰の時、忍城の児玉重行を追い出し、本拠地を成田から忍へ移す。

<史跡歩記> 現在の成田小学校の少し北に成田氏館はあります。車の場合は一方通行のため17号熊谷バイパスから進入する方法しかありません。この一方通行を進むと牧場があり、その隣の資材置き場の前に「成田氏館」の石碑があります。城郭大系には立派な石碑の写真が載っていますが、後に破壊されたようで、現在は低い位置に立っています。せめて石碑を守ろうと近年、個人寄贈の囲いが設けられています。遺構はまったくありません。「上之」交差点の北方の「竜淵寺」(りゅうえんじ)は成田家歴代の菩提寺。また、その西にある上之村(雷電)神社前には成田家時が築いた「堤」が現存しています。

石碑 成田家時が築いた「堤」

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