忍城

<城名> 忍城
<所在地> 行田市忍
<主な城主> 成田親泰、長泰、氏長
<遺構> 土塁、水堀跡、門、石田堤
<交通> 秩父鉄道「行田市」駅下車、徒歩約15分(忍城)。高崎線「吹上」駅下車、徒歩約25分(石田堤)。
<紙面掲載>1997/10/02(忍城)、2000/01/06(石田堤)

<歴史> 延徳3(1491)年、この地方を治めていた児玉氏を攻めた成田親泰が築城。成田氏は戦況に応じて主君を替え、氏長の時は後北条氏に仕えた。「小田原の役」の時の忍の水攻めは有名。石田三成はさきたま古墳の「丸墓山」に本陣を置き、石田堤を築いて水攻めをしようとしたが失敗。小田原降伏後まで持ちこたえる。

<史跡歩記> 本丸跡に天守閣を模した「郷土資料館」が建てられています。この天守は史実に基づかない、位置も規模も違うもの。実際の御三階櫓は中央小学校と水城公園の間あたりにあり、ゲートボール場に石碑があります。城=天守閣と思っている行政の残念な姿です。時の鐘まで動かしてしまいました。小学校周りには忍城15門跡の石碑が建てられています。巡って見るのも楽しいでしょう。

資料館敷地内に移築された門と土塁を見たら、水城公園脇にある「ゼリーフライ」を食しましょう。1個60円とリーズナブル。

石田堤は行田市・吹上町の境、上越新幹線の近くに残ります。吹上町は古い堤を破壊し、堤を復元してしまいました。石田三成とお話しできる公園にしてもしょうがないでしょ(苦笑)。旧態を残すのは行田市側です。数百メートルにわたって残っています。ここは行田市側を誉めたいですね。いつまでも旧態を残してほしいです。近くにある「堀切橋」は決壊場所のひとつ。

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